舟橋@震災・活動記録室 です。  先日の「号外」から随分と時が過ぎてしまいましたが、第18号をお届け致し ます。今回は「県外・市外避難者」の方々について考えてみました。被災地か ら遠く離れている方々にも出来ることがあるのです。  ぜひ、内容に関するご意見・ご感想などをお寄せ下さい。このML上での議論 を復活させましょう<^^> P.S.  詳しいことは別メールでお伝えしますが、「震災・活動記録室」の公式IDが 出来ました。"kiroku@dodirect.com"です。今回はこのIDからの「初メール」で す。今後、「記録室」宛に何かご連絡がありましたら、こちらのIDまでお願い 致します。 ----------------------------------------------------------------------        #####################              記録室通信 第18号                      19-June-1996         #####################       Quake Chronicle Project  震災・活動記録室              ─震災一年半を前に─  「復興」とは何だろうか。その前に、そもそも「被災」とは、災害の被害と はいったい何なのか、まずこのことから始める必要がある。「被災者」とは誰 のことなのか、どのようなものを「被害」とみて回復に努めるのか。  それは、被害のなかの何を自助努力による克服に求め、何を社会全体として 支援すべきものとするのか、「復興」の基本的な考え方につながることだ。  仮設住宅などの被災者の生活の場では、自殺や孤独死(病死、衰弱死、餓死) が後を絶たない。認定された「関連死」(遺族の自己申告に基づいて災害弔慰 金が支払われる死のこと)は現在八百数十名だがそれ以外に地震の直接間接の 衝撃がもとで亡くなった方は昨年一年間で2000人を越えると推定されており (注)、合わせれば本当の意味での<震災関連死>は約3000人にもなる。しか し、その死因はおろか関連死の<概況>すら把握されていない。  仮設住宅以外の方、とりわけ県外市外に避難しておられる方々の情況も、今 号の特集に見るように、まったくと言っていいほど知られていない。人数から も困窮の程度からも仮設住宅に匹敵するほどのものでありながら、これまでほ とんど見過ごされてきた。  仮設外の方といい震災関連死の現実といい、いったいどこで、誰が、どのよ うに困窮し絶望し、支援を必要としているのか、「被災者の情況の全体像」は、 震災から一年と五ヵ月も経っていまだに整理・把握されていない。  いまの被災地の問題の根本はまさにここにある。  「自助努力」とは自分の力で努力すれば何とか生活を再建できるという具体 的な希望があってこそのことだが、現実にはそのレベル以下の人がいったい何 千人、何万人いるのか。そのような人を「自助努力」を始められるレベルにま でもってゆくには、何が必要なのか。断片的な悲鳴は随所からあがっているが、 これらの把握はまだほとんどできていないのだ。  現実の結果として、震災一年五ヵ月後のいまなお、震災で打ちのめされたひ とびとが、十分なケアがなされないまま次々と亡くなっていっているという事 実がある。そのような歴史を、今まさに、私たちの社会は作ってしまっている。 死の多くは、日本のこの「豊かな」社会が本格的に実態を調べ、対処しようと すれば防げたはずのものである。その現実に社会としてどう対応するのか、現 代日本のすべてが問われているといってよい。 (注)兵庫県の人口統計によれば、震災後の1年間でおよそ8600人の「不自然 な死者の増加」がみられる(人口に対する死亡者の比率の例年の傾向から推 計)。このうち正式に認定された「震災死/関連死」は6279人(95年12月25日 現在)だから、約2300人の認定外の<関連死>があると推定される(5月31日 神戸新聞朝刊参照)。  ちなみに戦後の災害で死者が3000人を越えるものは枕崎台風(1945)、福井 地震(1948)、伊勢湾台風(1959)の三例を数えるのみである。        ─仮設住宅の内と外─   その3 遠い道                          人の心にはいろいろなおもいがあり、そのおもいを抱きながら一人一人生き ている。一見外側は同じように見えても、おもいはそれぞれ異なっている。懸 命にけなげに、他にどのように言っても、それは外側からの説明のようなもの で、その人の抱えるおもいに、他人はなかなかたどりつけない。たまたま私に、 私たち家族に震災があり、以後一年半、さまざまな出会いと別れがあった。そ のなかで改めておもったことがある。  たまたまということの大切さ。それと人は大変なおもいを背負って生きてい るという素朴な事実。この事にどうしたら係わることができるかと問うた場合、 こちらのすべてが問われるのだという簡単なことに私はやっと気づいた。今ま で気がつかなかったこのことの重みに、私は今後いったいどこまで堪えられる のだろうか。  震災のあと、私は仮設住宅でNさんと出会い、その後係わりを持つようにな るのだが、この関係はこれからどうなってゆくのだろうか。  垂水区の仮設住宅で暮らすNさん(61才)は、持病の糖尿病が悪化して、 この年の桜の散り始めた頃、食事療法に専念するため入院した。もう十年来、 糖尿病を患っているNさんだが、震災前、一人で住んでいた長田区では、それ なりに食事に気を配り、規則正しい生活を心がけてなんとか暮らしていた。 ずっと独身で働いていた彼女の場合、隣近所のアパートの住人や、歩いていけ る近くの商店のおばさんやおにいさんと気軽に声を掛け合って、日々貧しいな がらも心の通った生活ができていた。  ところがこの度の震災で、アパートは瞬時に全壊、その後まる二日間生き埋 めになってしまった。ようやく助け出されたとき、前とは違った世界がNさん を待ちかまえていた。その時の怪我で、それから半年間入院することになった が、前とはまるで違ってしまった世界を、Nさんはなかなか受け入れられなか った。落差はあまりにも大きすぎた。                     昨年の秋ようやく退院でき、垂水区の仮設住宅に移ってきた。元来、積極的 で世話好きのNさんは、そこの仮設住宅のなかで、誰にでも気さくに声をかけ、 すぐにまわりの人と親しくなっていった。  しかし、長田区での生活のように、心からうちとける友人はすぐにはできな かった。当たり前だとおもうのだが、そのさみしさは格別だった。たとえば夜、 部屋のなかで一人になると震災で亡くなった友人や、長年大切にしていた愛着 のある家財道具など、失ったものの大きさに愕然として、やり場のない怒りに 打ちのめされた。ぐっすり眠れる夜は、この一年半いちどもなかった。慢性の 睡眠不足に加え食事の不摂生がたたり、知らない間にNさんの身体に異変が起 こっていた。糖尿病が次第に悪化していたのである。「このままでは眼がみえ ないようになる」そう医師からいわれ、あわてて入院治療することに決めたの がこの四月だった。  「これで安心してぐっすり眠れる」眠れない状態がずっと続いていたのが余 程こたえていたのか、入院が決まった日、ほっとした表情で、こう私にささや いたNさん。「病院の食事がおいしくて、3キロも太った」自称グルメの彼女 は入院当初、こう私に話してくれた。これで彼女も健康を回復できるだろうと 安心していたのだが、その後二ヶ月経過した頃、大部屋での共同生活での気兼 ねや、一向に回復の兆しすら見えない自分の病状に苛立ちをみせはじめた。ま た違った意味で、眠れない夜が続いている。  「はやく退院して一人でゆっくり暮らしたい」最近しきりにこうこぼしてく る。    震災から一年半の、これはほんのひとこまである。他にも苦しみ、誰にも相 談できず、諦めている人が、きっといるに違いない。Nさんの場合も、たとえ 元気になって退院できたとしても、これから再び始まる仮設住宅での暑い夏と、 不自由になった視力での生活をおもうと、自力で元に戻ることは余程のことが ない限り、不可能なことではないかと私は思う。一日も早く病気を治して、ま た元の生活に戻りたいという気持ちだけが空回りして少しづつ弱っていくNさ ん。一度完全に壊れてしまった生活は、もう元に戻すことは無理であり、そこ にはたくさんのエネルギーが必要だ。    このように、自力で立ち直れない人が、まだまだ被災地にはたくさんいる。 Nさんも震災にあわなかったら、今でも元気で長田の町で暮らしていた一人な のだ。震災で傷つき、声をあげることも出来ない人々の存在を思いやり、手を 差しのべるやさしさが私たちに欲しい。これから先、微かでもいいから誰でも 希望がもてる被災地にしてゆきたい。           (季村範江)          〜県外・市外避難者の実態把握を!〜  震災からすでに一年五ヶ月が過ぎましたが、今もなお震災によって苦しんで いる人がいます。17号でもお伝えしたとおり被災地内でも仮設住宅等、問題が 山積みですが、震災で県外・市外へ移転することを余儀なくされた方々の問題 も深刻です。そこで、今回は「県外・市外避難者」の現状に焦点を当ててみま した。 1、「県外・市外避難者」の声 M.Mさん(女性)  (96年)2月9日、公団入居被災者として、兵庫県庁と神戸市役所に、仮設 と同じ期間の延長を陳情要望するために行ったが、県の「柔軟に対処したい」 と言う答えに対して、神戸市のがんこで聞く耳を持たぬ態度にはうんざりして しまった。私達の生活苦をわかっていながら無視するのか。要望には無言で、 ただただ同じ答えを繰り返すだけ。神戸は私たちを裏切り、切り捨てるつもり なのか。くやしい思いと思い疲れを感じた。私たち県外にいる被災者はもはや 神戸市民ではないというのだろうか?私たちは棄てられたのだろうか。否、ま だそう思いたくない!(「りんりん」より) Y.Sさん(38才女性) 〜母親(68才)と同居 【西宮(兵庫)→長岡京(京都)へ移転】  母はじん臓透せきをしておる為、体力的にも精神的にも仮設に入れません。 2人暮らしなので、私は働かなくてはいけないし家屋は借家の為、家主さんも 後建て直しはできないと、時間的余裕がなかったので、今は、姉家族の近くに 引っ越さざるを得なかった。震災後、母は体の調子が悪く、新しい土地での生 活にも慣れにくく一時は命が危ぶまれ入院もしました。  今は週に2回は長岡京市、1回は西宮の病院へ連れていっています。経済的 余裕はないのですが、あの時の状態では6カ月間だけ長岡京市の小学校で暮ら していたのですが、そこも延長はできないと言われ、8月の暑い時だった事も あり、今のマンションへ引っ越しています。とにかく、この先精神的にも経済 的にも苦しいので、助けて頂きたいです。(「阪神生活再建の会」要望書より) S.Iさん(33才女性) 〜帰る場所がない 【東灘区(神戸市)→橿原(奈良)へ移転】  市営住宅に住んでいました。神戸市は3DKだった間取りを2DKにして数 を増やして再建することにしたそうです。小学生の子どもが3人いて、これか らどんどん大きくなるのに、とても2DKには住めません。神戸市は仮設住宅 に住んでいる人の家を建てなければ行けないので、自力で高い民間の住宅を借 りた人や、私たちのように仕方なく遠方へ引っ越した人は、“帰ってくるな” といわんばかりです。私たちだって来たくてこんなに遠くまで来たわけではあ りません。2〜3年の辛抱と思ってここまでやってきたのです。高い民間の住 宅を借りている人だってそうだと思います。  広くして欲しいとは言いません。家賃が上がることは仕方ないと思います。 どうして元の広さにしてくれないのでしょうか。  神戸市は私たちを見捨てた。帰る場所はない。今、絶望感でいっぱいです。                          (「りんりん」より) ---------------------------------------------------------------------- 2、その実数 −10市10町から約15万人、6万世帯が流出  私たちが、「県外・市外避難者」の数を調べた所、まとまったものはありま せんでした。唯一参考に出来るものは、兵庫県企画部統計局の「兵庫県推計人 口」です。  それによると被災地10市10町の人口は、95年1月1日から一年間で約15万人、 6万世帯減少しています(表1)。この数は、震災の影響で起こった人口減少 を調べたものではありませんが、これを「県外・市外避難者」の数ほぼ相当す るとみなせるでしょう。また、前年度は人口が増加していたことも考慮すると、 実数は更に大きくなっている可能性もあります。    【表1】被災地10市10町の人口と世帯数の変化   ------------------------------------------------------------          人口(前年比)     世帯数(前年比)   ------------------------------------------------------------   94年1月1日  3,557,392        1,307,599   95年1月1日  3,589,126(+ 31,734) 1,333,402(+25,803)   96年1月1日  3,440,279(−148,847) 1,270,249(−63,153)   ------------------------------------------------------------   (注)「10市10町」とは、尼崎市・伊丹市・宝塚市・川西市・西宮   市・芦屋市・神戸市・明石市・三木市・洲本市・三原郡(緑町・三   原町・西淡町・南淡町)・津名郡(淡路町・北淡町・一宮町・津名   町・五色町)のこと 3、県外・市外避難者の見えない現状  「県外・市外避難者」の方々が被災地からどこへ移ったのか、まだ実態は把 握されていません。しかし、各地で断片的にあがる声から、全国に散在してい ると推測されます。  震災後すぐに、全国の公営住宅の空き部屋を一種の「緊急避難所」として行 政が優先的に斡旋したため、高齢者や障害者が多く移ったことは分かっていま す。また、避難所で仮設住宅への入居を待ってはいたものの当選しなかった人 達や、避難所での共同生活に耐えられなかった人達が、ギリギリまで我慢した 挙げ句に県外・市外への移転を選んだという場合もあります。  ただ、一度県外・市外へ出てしまうと、新しい土地での生活になかなか馴染 めない上に、地方自治体にはその行政区域の住民に対してのみサービスすると いう基本原則があるため(行政の属地主義)、前に住んでいた土地の自治体か らのサービスがなくなってしまい、被災地の情報も途絶し、孤立してしまって いるという共通点があります。また、彼らに対する実態調査もいまだに実施さ れておらず、具体的にどこでどのように困っているのか「見えない」ことが事 態をいっそう深刻にしています。  彼らが抱えている問題は、基本的には仮設住宅で見られるものと同様と思わ れますが、仮設住宅には一定の制度が存在し(表2)、また「仮設住宅」とい う共通の要素があって行政サービスやボランティアによる支援を受けやすいと いえます。ところが「県外・市外避難者」は全国に散在しその情況も多様であ るため、実態が把握されておらず、問題があるということすらほとんど認識さ れていません。  当然、有効な支援措置もとられていませんが、冒頭の<声>にみるように、 放置が許されないほど困窮を極めている人が数多くおられるのは疑いのないこ とです。  「社会から忘れられない」という最も基本的なことを始め、必要最低限のケ アさえもなされていない状況を改善するためには、彼らの実態を把握し、それ を具体的な支援という形に還元することが急務です。 【表2】仮設住宅への支援制度  ・家賃負担:無料  ・入居期間:2年→3年へ延長  ・設備:エアコン・その他(リース費国負担)  ・実態把握:96年2-3月、入居者の全戸訪問調査を実施    ※入居戸数42,688戸を確認(兵庫県住まい復興推進課)  ・ふれあいセンター:年間160万円の運営費補助、現在153カ所 4、われわれに出来ること −「県外・市外避難者ネットワーク」の試み  実態の把握のために県外・市外避難者についての情報を一カ所に集約し、彼 らの実態を広く世間に伝えることにより、被災地自治体に「属地主義」を越え た必要最低限の対応を求め、民間から関心と支援を集めることが必要です。  被災地内で活動するボランティア団体は、それぞれが仮設住宅などで接する 人々の持っている情報を集めることができます。また、被災地内であれ被災地 外であれ、自分の地域に避難して来ている人々を捜し、その人々の情報を集め るとともに彼らに関わっていくことが出来ます。  「県外・市外避難者ネットワーク(りんりん)」(大阪市)では、昨年9月か ら県外・市外避難者の実態の把握に乗り出し、個別の電話相談や名簿の集約に 努めています。今月6日には大阪商業大学の小森星児教授らとともに「『県外 避難者実態調査』緊急実施の呼びかけ」をおこない、緊急実態調査の実施と名 簿の集約、支援のためのネットワークづくりを訴えました。また、各地ででき た県外避難者自身による団体(福岡の「阪神大震災の被災者を救援する会」、 広島の「のじぎくの会」、奈良の「ふきのとう」など)との連携も始まってい ます。  私たちも情報提供やネットワークづくりに、ぜひ協力したいと思います。     「県外・市外避難者ネットワーク・りんりん」の連絡先は、         〒550 大阪市西区江戸堀1丁目24-12-10         TEL:06-443-3808(事務局長:中西光子さん) 5、地元メディアの重要性 −震災で奈良に移った人の会「ふきのとう」の例  今年の3月に、震災で奈良に移った人10名で「ふきのとう」が結成されまし た。奈良にもたくさんの被災者が移ったと考えられていましたが、実態がつか めていませんでした。そのため、地元の各新聞者に協力を求め、広く呼びかけ たところ、一週間で250人の連絡先が分かりました。その後、「ふきのとう」 では月一回の交流会を開いて、お互いの悩みや問題を話し合い、支えあってい ます。  「ふきのとう」は大変幸運な例ですが、まだまだ各地には声をあげたくても どうしたらよいのか分からない人々の方が多いと思われます。  まず各地に点在している避難者同士のその地域でのネットワーク化が必要で すが、そのためには各地域の地元の方に加えて地元メディアによる広範囲な呼 びかけが不可欠であり、メディアの積極的な協力が期待されます。 6、おわりに  今回は仮設住宅以外の方の問題を取り上げましたが、仮設住宅が恵まれてい るという訳ではないのは言うまでもありません。孤独死や自殺が相次ぎ、自治 会やボランティアの方々の懸命の努力もそれを完全には防げません。夏になれ ば、ペラペラの壁で室温は四十度を軽く超えてしまいます。  県外市外避難者についても状況は多様で、中には「実態を把握」されたくな い人もいるでしょう。難しい問題ですが、細心の配慮が求められます。                (担当:舟橋健雄、ウラベノリコ、実吉威)      ─「長田に災害公営住宅を!」署名活動の経過報告─  今月14日付けで、「長田区に低家賃の災害公営住宅の大量建設を求める署名 推進実行委員会」が兵庫県知事に対して66,382名分の署名を提出しました。こ れは、「もといた所へ帰りたい!」という率直な人々のおもいのあらわれであ り、改めて凄い数だと思います。通信17号でも紹介させて頂いたこの運動は、 今回の特集で取り上げた「県外・市外避難者」の方々が戻ってくるためにも、 大きな意味のある事だと思います。この署名活動が長田区だけでなく、被災地 全域においても大きなうねりとなり、実現することを心から願っています。                              (舟橋健雄)          ─「記録室文庫」開設のお知らせ─  今まで収集した資料の中で、一般公開できるマニュアル、提言集、報告書や、 市販されている震災関連の雑誌、書籍、写真集などを揃えて記録室文庫を公開 しています。  今回、目録を同封させて頂きましたのでご覧ください。尚、これからもたく さんの資料を集めて、内容をより充実させてゆきたいと考えています。皆様の ご協力をよろしくお願い致します。               ─編集後記─  つい厳しい話になってしまいます。告発よりも対話を、絶望よりも希望を見 出してゆきたいと考えているのですが。  関東大震災の際、福田徳三博士は「復興は決して復興院のみの仕事ではない、 否真の復興者は罹災者自らを措いて外にない。自ら生きんとする強い衝動、人 らしく、又独立独歩の人間らしく、慈善によらず、救援に頼らず、自らの働き を以て生きていかんとする固い決意を持って居る人が復興の最根本動力である」 と著しておられます。  「然るに今日迄の救護は、災後数日のやり方を其の侭継続して居るに過ぎな い。罹災者に復興営生の機会を与ふると云ふことに就ては何をも為して居らぬ。 有形物の物質的被害の大なるに脅かされて、大災のために人民の営生の機会が 滅ぼされたと云ふ無形の損害の甚大なることに気が付かず、物の恢復ばかりを 念として、此の無形なる損害を恢復し、一日も早く人人皆生産活動を始め、各 人に自らの営生機会を獲得せしむることの急務なるを知らないのである」  この記述は七十三年後の今日、まったくそのまま当てはまらないでしょうか。  復興=災害への対処=はまだ端緒についたばかりです。   (実吉 威)        ==========================================             活動継続へご支援を!!            活動資金が不足しています。              ご協力お願いします。            郵便振替口座:01180-5-67581             名義:震災・活動記録室        ==========================================     *******************************************************       『震災・活動記録室』  Quake Chronicle Project           〒653 神戸市長田区東尻池町1-11-4           Tel.078-682-7230 Fax.078-682-7231          Internet:kiroku@dodirect.com           Niftyserve:PXE03442(近日変更予定)          Mailing List:kiroku@cs.cla.kobe-u.ac.jp     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